『自由の名の下に』
それは夏休み、最後にして最大のイベント。
おそらく、誰もが一度はそれと対面する。
四十日という長い休み中での、自身の行いによって運命の別れる日。
「だからさー、なんで今日まで放って置いたわけ? 信じられないわ」
まあ、単に宿題を溜め込んでいただけである。
全くの手付かずで。
日時は、八月三十日、午前十時。
小学生の夏休みの宿題とは無意味に多いもので、残り二日、一人やっていて終わる量ではない。
「俺も信じられない。一音の宿題が終わっていて助かった」
なので現在、助っ人に手伝ってもらっている。
彼女の名前は結城 一音(ユウキ イオン)。俺の双子の片割れ。
自分の宿題が終わっていて、なお且つ俺の宿題を手伝ってくれる、素晴らしい人物である。
まるで女神のようだ。ああ、ありがたや。
「とにかくありがとう。これからは宿題の女神様って呼ぶよ」
俺は、感謝と敬意を込めてそう呼んだ。もちろん心の底から。
当然、一音にもその気持ちは伝わるはず。
「その呼び方、無償に腹が立つんだけど。キレていい?」
どうやら、女神様の心は狭いらしい。というか、『キレていい?』って……。
「あんまり調子に乗っていると、もう手伝わないわ。てゆうか、殴るわよ」
「じょ、冗談です。二度と言いません」
とりあえず、宿題を終わらせるとしよう。大人しく手伝ってくれる内に。
「えーと、空気中の80%を占める気体は? ……フッ素!」
「窒素よ。バカじゃないの?」
ちなみに、一音は頭が良い。本当に俺と同じ遺伝子を受け継いでいるのか疑問になるほど。答えの大半は、彼女に聞くか回答を写している。
「あっ、全部写しちゃ駄目だからね。全く同じ答えだとバレるから。先生に見付かったら、次の日から朝日は拝めないと思いなさい」
「は、はい」
絶対服従の俺。弱みを握られているとはいえ泣けてくる。
残る宿題は、現在模写中(丸写しするなと言われたが)の理科と、算数と国語とその他。
一音(と、俺の努力)のお陰で、問題集の類は今日中に何とかなりそうだ。
だが、
「で、自由研究はどうするの? 写す訳にはいかないわよ」
そう。数ある宿題の中には、自由研究という面倒くさいものがある。
彼女の言うとおり、これは写したりしたら即バレなので自力でやるしかない。が、そう簡単に終わらない。どんな事をしようか考えてすらない。
さすがに、今からアサガオの観察なんて出来ない。古典的すぎてやりたくないが。
「明日、丸一日でなんとかしないと。何か面白いものはないかな? ……参考までに一音の自由研究は何?」
全く同じならバレるけど、類似するくらいなら問題ない。自由研究なんて、どれも似通ったもののはず。
「私は今やっている途中。観察日記よ」
そういえば、俺が一生懸命(そりゃもう必死に)答えを写したり聞いたりしている間、彼女は何やらノートにペンを走らせていた。それが観察日記なのだろうか。
見せてくれるよう頼むと、何か躊躇したように見えた。
「見せてもいいけど…………怒らない?」
なぜ、一音の観察日記を俺が怒らなければいけないのか。参考にさせてもらうのだから感謝する。むしろ怒ったら、そのことに対して俺が怒られそうだ。いわゆる逆ギレ。
よくわからないが、とりあえず肯定しておこう。
「怒らない。怒る理由がない」
今は。心の中でそう付け加える。
俺が言うと、一音は安心したようにノートを差し出した。
「どうせいつかバレるから、今見せても問題ないよね? 本当に怒らないでね」
そこまで念を押すことに疑問を覚えつつ、受け取ったノートに目を落とす。
表紙には、大きな文字でこう書かれていた。
『愚弟観察日記5 !! 〜結城一庵の哀れなる日々〜』
ちなみに、一庵(イアン)という妙な単語は俺の名である。
つまり……。
「俺かよ!?」
「うん、そう!」
とすると、何か!? 俺は夏休みの四十日間ずっと観察されていたと!?
同じ家に住んでいるので不可能ではないが。人を珍獣みたいに……。考えるとぞっとしてきた。恐る恐る中を見る。
『七月二十三日。
今日から夏休み。観察日記は今年も、愛しき我が弟、結城一庵を観察対象とする。
終業式後、一庵は夏休みになることに浮かれているのか、友人とはしゃいでいた。周りの人間が鬱陶しそうしている。
周囲に迷惑なので減点一』
『七月二十六日。
一庵は家に友人を複数呼んでバカ騒ぎをしていた。隣の部屋から騒音が響く。五月蝿い連中だ。類は友を呼ぶという。
私に迷惑が及んだので減点五○。現在の減点総数:一八五』
『八月二日。
珍しく雨が降った。大雨だった。
一庵は朝から出かけていたが、バカな事に傘を忘れていったようだ。公園の電話ボックスで雨宿りしている、という電話が掛かってきた。濡れてでも帰ってくればいいと思ったが、母親の命令で私が傘を持って迎えに行った。仕方ない。我が家では、母親の命令は絶対だから。
それにしてもバカだ。バカなので減点二百。現在の減点総数:一三○○』
そんな感じで、今日の日付まで約四十日分書かれている。
「…………」
その、あまりの内容の酷さに俺は絶句した。えーと、何から指摘すればいいのかな? ツッコミ所が多すぎる。
「どう? 乙女の恥じらい的な日記は?」
それを聞いたとき、俺の目は人外の者を見るものに変わった。
さっきは一音を女神と思ったが訂正しよう。
この女は人間じゃない。人の皮を被った鬼だ。鬼を見たことないけど……。
「それ、本気で言ってる?」
「あはは。もちろん」
頼むから冗談と言ってくれ。ああ、涙が出そう。
だが、たとえ冗談と言ってもらえたとしても(言ってもらえてないけど)、この様な日記が存在するのは事実で、それは大いに問題ありだ。というか、納得いかない。
「で、この減点は何?」
他に気になる所は沢山あるが、それが一番疑問だ。普通、日記に点数など付けない。
「ああ、それは現時点での一庵の真人間度を採点してあるの。最終的に減点総数が百を超えていたら、あなたは私の中で駄目人間の烙印が押されるのよ」
なるほど。その点数は……。
「百なんて三日目で超過しているじゃないか!? どんな採点基準だよ!?」
「双子の姉が、愚かな弟を温かく見守った結果よ」
今日の日付を見ると、減点は六桁に差し掛かっていた。彼女の中で俺は、駄目人間の烙印を一万回押されたらしい。本文は恐ろしくて見れない。
そろそろ、目の前の少女が『十二歳の小五』という事に疑問を覚えるべきかもしれない(俺もだけど)。日本中の小学校を探しても、こんな酷い性格の小学生は見付からないと思う。
百歩譲って、俺が駄目人間という事は納得しよう。実際そうだから。
疑問その二。
「で、何でこの日記は『5』なんだ? それに冒頭、『今年も』って…………まさか!?」
「そのまさかよ。これは五冊目。小一から今年まで丁度五年だから。えーと……今年の内容はまだ優秀な方ね。減点が今までで一番少ないわ。あっ、過去のやつも見る? バックナンバーはきちんと残してあるわよ」
眩暈がした。
一音は毎年こんな事をしているようだ。小一のまだ漢字もまともに書けない子供が、これより酷い内容の日記を書いている所なんてとても想像できない。
「私はたった一人の弟が心配だからこんな日記を付けているのよ。多少は感謝するように」
俺は確信した。こいつは将来、ロクな死に方をしない。
もちろん死んだら即、地獄行きだ。間違いない。
「そもそも、弟、ってどっちが先か解らないだろ?」
「わかるわ。優秀で可憐な私が姉で、その他諸々の一庵が弟なのよ」
一音はそう主張するが、実際のところ、俺達はどっちが先に産まれたかを知らない。
両親がそれを教えずに育ててきたのだ。「面白そうだから」との理由で。
ちなみに、俺達が産まれた病院の産婦人科に問い合わせても教えてくれない。どうやら事前に、俺達には教えないよう頼まれてそれに了承しているようだ。「面白そうですね」との理由で。
だから、一音は俺の事を弟と決め付けているし、俺は一音の事を妹と仮定している(別にどっちでもいいけど、なんか癪だから)。
「じゃあ、もっとまともな姉になってくれ」
「まともよ。弟の宿題をフォローしてあげている理想的な姉じゃない」
痛いことに、それを言われると言い返せない。今回は大人しく引き下がろう。
都合が悪いので、疑問その三。
「なぁ、本当にその日記を提出するのか?」
嘘でもいいから否定してほしい。あんな日記を見たら、担任は卒倒するに違いない。
「『自由』研究だから大丈夫。それに五冊目だからもう常連よ。先生も楽しみにしているわ」
「何だよそれ!? 普通そんな酷い日記を見たら注意するだろ!?」
中傷だらけで(俺へのものが十割)、共感できる所と言えば『我が家では母親の命令は絶対』という部分だけの文章、教師として楽しんでいては駄目だろ。教師以前に人間としてどうかと思う。
「甘いわね! 母さんの作るシュークリームの0.86倍以上甘いわ!」
「いや、そんなベタな上、意味分からんボケはいいから」
そもそも、母親の作るシュークリームは甘くない。酢が入っているから。
「う、うるさいわね! 言ってみただけよ。と、とにかく、一庵みたいな成績不振な人間だと一蹴されてついでに嘲笑されて終わりだけど、私みたいに優良児童だとユーモアとして受け取ってもらえるわ。さらに職員室の話題にもなって他の先生にも注目されるのよ。だから一庵も、私みたいにユーモアに溢れる遊び心満載の自由研究にしなさい!」
俺には、五年一組にいる成績は良いが性悪で精神的に問題有りでヤバイ日記を書く双子の片割れ(女)をどうするか、を職員会議で深刻に相談する教師陣の姿が想像できた。きっと気苦労が絶えないだろう。円形脱毛症になっていること間違いなしだ。
「遊び心満載? 残忍さなら満載だな。母さんの次くらいに」
「あらあら。誰が残忍なのかしら?」
唐突に響いた声に反応して俺の全身に鳥肌が立つ。
その声は部屋の入り口から聞こえてきた。もちろん一音のものではない。
「あ、母さん! ねぇ、聞いてよー。お兄ちゃんが苛めるの!」
突如出現した母親に、一音が泣きついた。
「なあ、一音。実はお前って、一回死んだほうが世の為、人の為、ついでに俺の為なんじゃないか?」
都合の悪い時だけ妹のフリをする一音に、俺は呆れながら言う。もちろん、その言葉は本心だ。
そんな俺に母親が微笑む。それを見て、背筋に悪寒が走った。
「一庵。誰が死んだほうがいいですって? 人の娘に何を言っているのかしら? あなたそれでも私の息子? あんまり調子乗っているとぶっ殺すわよ? あはは」
頼みます。笑いながら、ぶっ殺すとか言わないで下さい。
もっとも、俺達は笑顔以外にこの人の表情を見た事がない。楽しい時はもちろん、悲しい時も怒る時もその表情は崩れない。喜怒哀楽がない訳ではない。ただ、表面上は『笑』だけ。しかし、笑ってはいるが感情は相手に伝わる。特に『怒』。笑顔でキレる。これが異様に怖い。今がまさにそうだ。しかも、口調は穏やかだが、ぶっ殺すとか平気で言う。
「か、母さん、目が笑ってないよ」
「母さんは別に怒っている訳じゃないのよ? で、誰が死んだ方がいいですって? それに、誰が残忍なのかしら? 一庵? 事と次第によっては……」
そう言いながら俺の部屋に入って来た母親は…………包丁を持っていた。出刃だ。
怖い。怖すぎる。
「そ、そ、その包丁は何に使うの? もしかして、俺を……」
刺すつもり?
俺の言葉は、母親が一歩前進しただけで中断された。
「あら、これ? これはシュークリームを作っていたの。私の趣味なのよ。ふふっ」
「嘘つかなくていいよ! シュークリーム作るのに出刃包丁は使わないだろ!?」
「勉強を頑張っているあなた達のためにおやつでも、と思っていたのに……そう。もう必要ないみたいね」
なぜ、必要ないのか。
それは、俺は今ここで八つ裂きにされるから?
「そ、そんなことないよ。俺が悪かった。お、俺、母さんの作ったシュークリーム食べたい。ぜひとも!」
できれば酢が入ってないやつで。
「そんなことより! 母さん、一庵が私の日記をバカにするの!」
それまで黙っていた一音が、思い出したように日記の話題を持ち出す。
まったく。口を開くとロクな事を言わない。
「よく言うよ! 一音の日記は俺をバカにしかしていないだろ!?」
反論を試みる俺。だが、予定外の乱入者で、俺の置かれた状況は悪化していた。
「日記って? もしかして、一音が夏休みに毎年書いている日記?」
どうやら、日記の事は母親も知っていたらしい。猛烈に嫌な予感がする。
「うん。今年も見る?」
「そうねぇ。一音は母さんに似て日記を付けるのが上手だから楽しみね。あぁ、子供の頃を思い出すわ。母さんもよく一音みたいな観察日記を付けていたのよ、父さんに。それはもう容赦なかったわ。一音も手を抜いては駄目よ? 男の子にはやりすぎる位がいいの」
耳を疑った。母親もこのような日記を付けていた?
新事実発覚に、父親を不憫に思うよりも母親に腹が立った。
「親子揃って何やってんだ!? 最低だよ! あんたらは悪魔か!?」
俺は思わず叫んでいた。手には握りこぶし。思えば、このツッコミには俺の魂が宿っていた。それほど、全身全霊の台詞だった。そして、そのツッコミが俺の命運を分ける。何より、後にも先にも俺が母親にツッコミを入れたのはこの時だけだ。
室内には不自然な静寂が訪れていた。
俺は叫んだ体勢のまま硬直。
母親は笑顔を貼り付けたまま、同じく硬直。
一音は一人、顔面蒼白で震えていた。
「い、い、一庵。な、何て事言うのよ。早く謝りなさい。私はともかく、母さんが……」
「ふふっ、ふふふっ、あはははははは」
笑っていた。思わず身を引く。
「ははは、あはははは……………………一庵さん」
「ひっ、は、はい」
ひとしきり笑った後、落ち着いて俺の名を呼ぶ母親。だが、空気がいつもと違う。何より『さん』付け。相当機嫌の良い時の呼び方か、本当にヤバイ時の危険信号。今は……間違いなく後者。終わった。
「ふふっ、今なんて言いました? あんた? 母親をあんた呼ばわりですか? ははは、愉快ですね、それ! あはは、それに何でしたっけ? あぁ、そうそう、最低? 悪魔? それって、もしかして私の事ですか? あぁ、面白い。愉快だわ。ふふふっ、あはははははははははははははは!!!!」
――――その日、俺は地獄を見た。
『その後の出来事は、記憶の中からごっそり抜け落ちていた。ただ、地獄を見たと、その印象だけがはっきり残っている。
しかも、俺は失語症になっていた。話したくても声が出ないというのは奇妙な感覚だ。
一音は何故か、必要以上に俺の心配をしてくれた。本人曰く、
「あんなのを見せられたら同情もするわよ」
とのことらしい。それほど壮絶だったようだ。一音が改心するほど。
失語症に関して、責任者である母親に連れられて半強制的に病院へ行くと、
「放っておいてもしばらくすれば治るでしょう。しかし、よっぽど怖い目に合ったんですねぇ。お大事に」
と、医者からも同情の眼差しを向けられ、薬として精神安定剤を出された。何か間違っている。その横で母親が、笑顔で苦笑するという器用な事をしていたのは覚えている。自分の所為だという自覚は一応あるらしい。ただ、俺はその笑顔に冷や汗が止まらなかった。
八月三十一日』
(ふぅ。やっと終わった)
最後のページを埋め日付を記してから、声が出ないため言う努力だけしてノートを閉じた。
現在、九月一日、午前六時。徹夜の甲斐があって、何とか宿題は全て終わった。もちろん、今閉じたノートは、最後の難関、自由研究だ。表紙には、
『夏期休暇中被害報告書!! 〜外の敵より内の敵〜』
と書いてある。夏期休暇中といっても、内容は一昨日のことだけだ。
一音の日記に抵抗を試みた結果である。ささやかな抵抗だが。
これできっと教師供の気苦労が増える事だろう。
終